2016年11月17日

ザックリ日本史\(^o^)/9

時は紀元前2世紀、支那の中原で項羽と劉邦の国とり合戦が終わり支那に「漢」と言う国が出来ました。建国の最大の功労者である国士無双とまで呼ばれた将軍を猜疑心から粛清してしまうと言う、支那のそれから興る全ての国に付きまとう業の始まりの大罪を犯した皇帝の国です。
秦の残党は方々へ散り大連やウラジオストックや地球の温暖化(千年周期で百年近く暖かくなる)により樺太に移った者もいたようでした。
ちょうどその頃、日本海沿岸の朝鮮半島からウラジオストック 樺太に至る日本海沿岸帝国を築き上げていた出雲の国がありました。
ここに中央構造線をたどって糸魚川静岡構造線に至る連合都市国家を形成していた首長が接触してきました。
しばらくして日本のバベルの塔とでも言えるような出雲大社が出来上がり、日本国が出来ました。古事記に伝わる国譲りですね(^_^)
温暖化がおさまり再び寒い季節へとなりつつあった頃の出来事でした。
ここで日本は九州から壱岐 対馬 朝鮮半島西側沿岸に続く小国連合の倭国と本州四国の「シラス」による統治の日本国の2つの巨大国家が同居する国になりました。
ローマ帝国が勢力を伸ばし始めた頃でした。
ミトラ教が地中海沿岸 ペルシャ インド インドネシア 台湾 琉球の沿岸づたいに広がっていました。
インドで仏陀が悟りをひらきました。



Posted by かんながら! at 16:59│Comments(0)
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