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2016年11月29日

外務省VS 安倍首相

なんと言う お題!
不味いかな?(^o^;)
色んな考え方があるでしょうが、ここ最近の首相の動きは どう考えても外務省に対して何かしらの意思表示を伴った行動と見えますね。
国家として一番重要な省庁であるはずですが、どうも国民を見ずに外国の要人の顔色しか見てない気がするのは私の思い違いでしょうか?
世界が大きな変革の動きを示している今、これまでと同じような対処では済まなくなっているはずですが、作年末の慰安婦合意等 国民や国体の事を考えているとは到底思えない動きは情けなく感じます。
外務省の中枢に居てはいけない方々が居るのは分かりますが、なんとか自浄できることを祈ります。
  


Posted by かんながら! at 08:33Comments(0)

2016年11月29日

ベーシックインカム

やれるかな?
ようやく専門家や評論家の中で具体的な実施方法が論議され始めましたね。
施行されるまでの手順が一番の決め手になりますが、1億をこえる人口を持つ国で 多分唯一日本でならできる制度だと思います。
この制度の条件は、なにもしなくても財源が確保できる!or 国民が、食えるお金が与えられていても、ほっておいても働くアホが多い!ですよね?
年金制度が破綻している現在、早急に考えるべき制度だと思います。
今の日本で政府が考えなければいけない最重要なモノは、防衛問題と年金・保険問題だと思います。
これがかたずけば、自然に色んな事が解決していくんじゃないでしょうか?
それが成し遂げられた国を本当に壊そうとする強大なナニかが現れて、それにより日本が壊されてしまったとしたら・・・・・まあ、むこう数千年は皆が幸せに生きる事が出来ない星だと見限り、1度リセットするつもりで大戦争でも起こせば良いのかもですね\(~o~)/
積み重ねたモノへの執着。指導者が持ってはいけないモノでありながら、人間としては手離しがたいモノであると言う・・・・・辛い仕事でしょうが「先生」と呼ばれる人には そうあって欲しいものですね。  


Posted by かんながら! at 01:16Comments(0)

2016年11月28日

木村太郎の波紋。

「日本が中国の属国になって何がいけない?」
日本が現在抱えている防衛問題の 正に根っこの部分ですね?
まあ彼自身はアメリカ国籍を持つ人だから、取り敢えず傍観者の立場でいれる訳ですから、簡単に出てくる言葉ですが、実のところ、ここが右翼と左翼の本当の肝の部分でしょう。
日本国内で、どれだけ議論してもラチがあかない問題ですが トランプ大統領の誕生により 1度は議論するべきではないでしょうか?
共産党や民進党の本音の部分もさらけ出してやるべきだと思いますが。今のままで美味しい汁をすすることはアメリカ軍が本当に撤退したら出来なくなるのは二党とも分かってるとは思いますが・・・・要するに飼い主が出張ってきたら必要の無くなった犬コロは殺処分ですから。悲しいことにプラカード持ってカメラを意識した飼い主への忠犬パフォーマンスも要らなくなります。あそこまで酷い形のアピールをしなければならないほど首根っこを掴まれているのかと思うと本当に可哀想に見えてきます。
沖縄の辺野古への基地移転によって迷惑料金がもらえなくなる普天間基地周辺に移住してきた者達や現在の基地の土地を担保に莫大な金額を銀行から借りている地主達等の絶対に基地移転をされたら死活問題になる人達も、移転どころか、基地が無くなる現実が起こり得る近未来についてもキチンと考える必要があるんだと思います。
いずれにしても、流石の木村太郎さんでしたね。
噛み付ける評論家が出てくると大きな波紋が広がるでしょうが、噛み付ける者が居るだろうか?

  


Posted by かんながら! at 17:14Comments(0)

2016年11月27日

透析と血圧降下剤

知人の奥さんが先週から透析をしなければならなくなった。
毎年健康診断をして、いろんな検診等もして、健康に人一倍気を付けていた方でしたが・・・・
還暦を過ぎた頃から 掛かり付けのお医者さんから血圧が少し高いからと言うことで、何処も悪くないけれど、ずっと血圧を下げる薬を服用していたそうです。
しばらくすると、腎臓の数値が良くないと言うことで、超減塩の食事を何年も続けていて だんだん具合が悪くなり・・・・・・
結局 透析をすることになったそうですが、その原因が血圧降下剤の副作用の疑いがあるとのことを掛かり付けの病院から推薦してもらった別の病院での検査で言われたそうで・・・・
  


Posted by かんながら! at 21:56Comments(1)

2016年11月24日

キリスト教の弱点?

キリスト教の教義の最大の大切なもの!それは神であり、全てが神ありき!から始まるものである。って教えですよね?
そして「救い」とは、キリスト教では「神」の怒りから解き放たれる。と言う事だと偉い牧師さんが言われています。
この事から、キリスト教では 神にとって人は居なくても良い存在。
全てが神がしてくれた!恵みをくれた!だから神を崇め信じる者だけが救われる!?
この教えを「神」側にいる者から見たらどうでしょうか?
もしもキリストが本当に居たら、このような教えを言い回るのでしょうか?
新約聖書におけるキリストの物語・・・・・・ウ~ン( ̄▽ ̄;)
知り合いの神父さんが毎週教会で聖書の勉強会をされてるんですが、段々教会に来る人が少なくなってきているみたいで・・・・・
自分の力不足を嘆いていられましたが、実際 今の人達と聖書の問答をした場合、反対に論破される事が多いと思います。
緻密にし過ぎた分 こじつけ気味に聞こえる解釈が多くなりますから。  


Posted by かんながら! at 07:17Comments(0)

2016年11月21日

政治家と政治屋(^_^)

市会議員と県会議員は政治屋でも良いと思いますが、国会議員は政治屋では不味いですよね?
今、政党としてキッチリ思想と政策の意思表示をしているのは共産党だけですね?
一党独裁完全管理政治!
与党にも野党にも政治屋だらけ(´д`|||)
国会議員で飯を食うな!
以上。
  


Posted by かんながら! at 08:50Comments(0)

2016年11月20日

バチカンの失敗?

バチカンと言うと、言わずと知れたキリスト教の本山ですね。
世界最大の宗教であるキリスト教・・・・
大小問わず宗教には人々を導く教えが必ずあるんですが、その中心にあるものとは何でしょう?
教義の殆んどはローマ帝国に先に広まっていたミトラ教を踏襲してますが、キリストが現れたこと(実際のところ解らない)により、教会や牧師の存在理由と価値を民衆や世界に知らしめす事が出来るようになりました。
同じ神を信じる宗教でありながら、イスラム教には牧師は居ないですね?
キリスト教にはキリストの想いとは裏腹に最初から利権が発生していたのです。
3世紀半ばまでローマ帝国の民衆に広く浸透していたミトラ教が、瞬く間にキリスト教に とって変わられてしまったのです。
政治的な力が介入した事が一目瞭然ですね?
キリスト没後数百年の後に急に起こった出来事ですが、こうなるとキリスト自体が居たのかどうかさへ疑問になってきます。
現在ではアポロ11号が月面に本当に降り立ったのか?と同じくらいの信憑性になっています。
話は戻りますが、キリスト教の教義の最大の違和感を醸し出す所が、異教徒は人間ではない!と言い換えるべき唯我独尊的宗教感です。
聖書にある「汝の敵を愛せよ」「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」なんてのは相手がキリスト教徒である場合に限る!でしょう?
神の御名において・・・・・「十字軍」「インディアン殲滅」「黒人奴隷狩」「広島と長崎への原爆投下」「東京大空襲」殺戮を肯定する為の言葉になってしまってます。
キリスト教の最終目的は何なのでしょうか?
キリストは神の御子であり、キリストが人の贖罪への罰を身代りに受けたことで人々は救われた。
このキリストの誕生から復活までの物語の作者は 何処の誰なのでしょうか?
旧約聖書に刻まれた凄まじいまでの荘厳で大きな物語と、聖書に羅列された緻密で小さき物語。
この小さき物語のキーマンであるキリストの物語の挿入・・・・・・・この稚拙な物語を挿入したことで、聖書は緻密に成らざるを得なくなり、そしてイビツなモノになってしまった。
バチカンは聖書を全て書き換えたいと思っているかもしれませんね。
イスラム教のマホメットは、キリスト教の弱点であるイビツ性を改善し、広めましたが、本質的に、争いを肯定する所は同じになってしまいました。彼自信が行った私欲による殺戮を肯定するために、彼自信が改良した宗教を再びイビツなモノにしてしまったからかも知れません。
こうして、厳密に言うならば絶対唯一神教のキリスト宗とモハメット宗は、それぞれの宗派の持つ正義が絶対であり何よりも尊く、全てに優先され、それを貫く為の手段は問わず全て許される!が、最大の教義になってるような気がします。
そもそも同じミトラ教から変化した仏教のブッダをモデルにミトラ教にキリストの物語をぶちこんで造り上げた宗派とその宗派をパクってマイナーチェンジした宗派の2つの宗派・・・・・・・・争いは避けられないでしょうね(^o^;)
バチカン 今後どうしていくのでしょう?
  


Posted by かんながら! at 06:29Comments(0)

2016年11月17日

ザックリ日本史\(^o^)/9

時は紀元前2世紀、支那の中原で項羽と劉邦の国とり合戦が終わり支那に「漢」と言う国が出来ました。建国の最大の功労者である国士無双とまで呼ばれた将軍を猜疑心から粛清してしまうと言う、支那のそれから興る全ての国に付きまとう業の始まりの大罪を犯した皇帝の国です。
秦の残党は方々へ散り大連やウラジオストックや地球の温暖化(千年周期で百年近く暖かくなる)により樺太に移った者もいたようでした。
ちょうどその頃、日本海沿岸の朝鮮半島からウラジオストック 樺太に至る日本海沿岸帝国を築き上げていた出雲の国がありました。
ここに中央構造線をたどって糸魚川静岡構造線に至る連合都市国家を形成していた首長が接触してきました。
しばらくして日本のバベルの塔とでも言えるような出雲大社が出来上がり、日本国が出来ました。古事記に伝わる国譲りですね(^_^)
温暖化がおさまり再び寒い季節へとなりつつあった頃の出来事でした。
ここで日本は九州から壱岐 対馬 朝鮮半島西側沿岸に続く小国連合の倭国と本州四国の「シラス」による統治の日本国の2つの巨大国家が同居する国になりました。
ローマ帝国が勢力を伸ばし始めた頃でした。
ミトラ教が地中海沿岸 ペルシャ インド インドネシア 台湾 琉球の沿岸づたいに広がっていました。
インドで仏陀が悟りをひらきました。  


Posted by かんながら! at 16:59Comments(0)

2016年11月17日

ザックリ日本史\(^o^)/8

支那地域のほぼ全土を瞬く間に制圧した始皇帝は優れた大国家を創ろうと模索するのですが、それが、この地では叶わぬ事だと理解するのに それほどの時間はかからず、法と力による統治と言う現在の中国と全く同じ手法によっての支配を行いました。
それと平行してエイブラハムの子孫である証としての姓「贏(エイ)」の始皇帝と同じ姓を持つ徐福をはじめとした部族の新天地探索部隊が各地へ出発しました。
数年後、徐福が始皇帝のもとへ帰ってきて何かしらの発見を報告しました。
徐福は間もなく前回を遥かに上回る大部隊で再出発をすることになりました。
それから半年が過ぎた頃、弓月国(今のキルギスタン)に最東の部分の万里の長城作りの動員がかけられ、数万人規模の部族移動が始まりました。
不思議な事に 万里の長城の西の果てよりも更に西にある国へ一番遠い東部分の工事をさせる事はもとより、国民の殆んどが家族もろとも駆り出されたのでした。
この大移動が始まって数年後 秦は滅び支那の土地は再び戦乱の世となり、日本には歴史上最大の数万人規模の難民が押し寄せてきたのでした。
不思議な事に、日本に入ってきたこの大規模な難民も、まるで砂に水が染み込んでしまうように、この国の人と生活に溶け込んでいってしまいました。
この頃、海路により九州にたどり着いていた一団は、中央構造線に沿って見つけられる水銀等の稀少金属によって、交易による富や力を手に入れながら、四国の地に強力な国家を形成していました。
この頃入ってきた多数の難民たちは、九州には既に四国の国家に負けないくらいの強力な国家があったため、部族ごとに そこに取り込まれる者や瀬戸内に点在する集落の一部になるもの、日本海側の貿易国家の一部になるもの等 部族の持つ適性に応じた場所での生活を営むようになりました。
こうしたスムーズさは、先遣隊として各地を回っていた徐福の功績によるものかもしれません(^_^)
そして、この時 日本には朝鮮半島と九州に数個、四国に1つ、出雲に1つ、飛鳥に1つ、諏訪に1つ、愛知に1つ、静岡に1つ、新潟に1つ程の強い勢力を持つ国家が出現していたようです。
特筆すべきは、この小さな島国に出現した国家達が、それぞれ異なった文化圏を構成していた事でした。
アスリート並の身体能力と貪欲な好奇心と工夫や細工が大好きな縄文人の下地に戦乱から逃れて移り住んできた平和を好む様々な文化圏からの人々の血が混じりあっていったんでしょう。
そして、この各地の文化圏には似通った表音文字があり、この時は既に漢字も浸透していました。
そして漢字の読みの日本読みである訓読みも既に確立していたのです。
ここが新説で、日本にある文字の出来上がった順序がカタカナ(実際にはカタカナの原形の文字)から漢字が出来 漢字から平仮名が作られた!
つづく(*^ー^)ノ♪




  


Posted by かんながら! at 09:00Comments(0)

2016年11月16日

ザックリ日本史\(^o^)/7

この辺りから、情報が錯綜して色々な民俗に都合の良い話が出てきています。
出来るだけ現実味がありながら途方もない話を選んで話を繋いでいきましょう。
紀元前2000年頃アラビア半島のつけね辺りに文明をもたらしていた民俗と共に九州に帰ってきた縄文人たちは、途中途中で交易のあった都市に寄り、そこに住み着くもの、また新しく乗り込む者とで 更に血や文化が混じりあい九州にたどり着いたときは、当時の世界での最高文化水準を持つ豊かな都市を形成していきました。
そしてその人々の生活基盤に宗教がはいりこみ、精神的にもレベルの高い生活を過ごしていました。
そしてチグリス・ユーフラテス流域を追われて北へと向かった一族はエジプトに入り根をおろしたものと後にシルクロードと名付けられた道を東進した者らに分かれ、それぞれの地にて、彼らの持っていた宗教による秩序をあたえる事で彼等の安住の地をさがす旅は険しいなかにも心穏やかな東進になっていました。
東進の途中、良い土地があると そこでしばらく居住し、やがてそこに残る者と 更に東進する者らに分かれ東進の果てに大河の畔に大きな王国を造った者らが現れました。
部族の名前は「商」後に「殷」と呼ばれるようになった中国の歴史上最古の王朝でありました。
もともと質素で潔い生活を送ってきていた一族が、その持っていた優れた宗教により譲り受けた国の富貴に酔いしれ、いつの間にか民を虐げ、その怒りをかい 支那と言う地域に初めての戦乱を起こさせた王朝となり「殷」と後の世に呪われる呼び名をつけられたのでした。
この部族がこの地で行った最大の功績は、もともと彼らが持っていた文字を改良して造り上げた表意文字である漢字を造った事でしょう。この「漢字」と言う呼び名は もちろん後からつけられたモノですが、便宜上こう呼ばせていただきます。
ここで造ったことにより、皮肉にも戦乱と共に一気に広がる事になったのです。
かくして「商」を造った部族は漢字と共に四散し それぞれの地で力を蓄えていくのでした。
やがて、西の地にマケドニア出身の風雲児が現れ 彼の東征により東西の文化交流がはじまり出した頃、支那の地にも大いなる風雲児が現れたのでした!
秦の始皇帝ですね(^_^)
彼は明らかに支那の地域の人ではなく、戦いかた武器 統治の全てにおいて西の文化圏からの軍隊であり、完全なる異文化による支配を受け ここから支那の血生臭い殺戮の歴史が始まりました。
支那の戦乱は、その都度 周辺地域への難民流出が起こり、日本へも敗れた部族が 沢山流れ着いていました。
つづく(*^ー^)ノ♪



  


Posted by かんながら! at 03:44Comments(0)