2016年09月25日

説法。

先日、焼鳥屋で色んな事での先輩(^_^)と飲んでたら、キリスト教の神父さんは 素晴らしい説法を行うのに、仏教の坊さんは法事やら 色んなどこで檀家さん達とふれ合うのに、まともな説法を説く坊さんが殆ど居なくてなげかわしい!と言ってありました。
無粋ながら、キリスト教やイスラム教は聖書やコーランに基づいた1つの教えを遂行しているため、きちんとした説法が出来るのに比べて、坊さん達は、お釈迦様の その時々に合った享受を書き記した お経毎の宗派に別れてしまっていて、1つの教えに基づいていないから、現代に見合う真理の部分を説いていこうとするには個々の坊さんが無茶苦茶勉強してしか出来ないのが現実だからだと思うと言わせていただきました。
すると坊さんに対しての批判ゴウゴウと宗教の教えをバックに戦争やテロを起こす組織が出来るような宗教は、もはや宗教とか神の教えこととかのモノでは無い!即 解散するべき!と荒れてました(^o^;)
この考えが正しい!と思う人が沢山になったとき、その考え以外は間違いだ!となる事が一番危険な状態だと思います。
これは、宗教だけにとどまらず、共産主義 社会主義 右翼 左翼 等 人間が思い付く これが良い!と言う考えが浮かんだ瞬間に この危険に晒されるのです。
結局は、人間は妥協を積み重ねていく以外 共存は出来ないものみたいですね?
それを踏まえてシンプルに考えると、国同士民族同士の付き合いかたが、わかりやすくなるのでは?
平和は愛よりも、遥かに上のレベルでしか成立しない!\(^o^)/
間違いない!ですね\(~o~)/
愛でさえ ままならない人間が、平和な世界を築ける訳は無いですね?(^_^)v
でも科学と技術を人間は発展することができます。
科学と技術の発展は、少しずつかも知れないけれど、振り返ったとき、必ず 平和な世界を築けていると信じたいものです。
ターミネーターの世界よりもドラえもんの世界になれるように祈ります。



Posted by かんながら! at 21:00│Comments(0)
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